癒しの香りfrom京都
癒しの香りHomepage 代表者Facebook
いじめとどう向き合うべきか(前編)
最近、いじめによる若い人の自殺が目立ってきています。
一つマスコミで大きく取り上げられると連鎖的に自殺が
起こっているようにも思えます。


もしかしたら、パソコンや携帯電話などの情報機器の
発達によって、同じように自殺をしたいと考える人たちが
マイナスの感情を高めやすい状況を生み出しているのかも
しれないと思えます。


とにかく、いじめが表面化してきた昨今。
どのように向き合うべきか自分の経験をふまえて
考えてみたいと思います。





いじめはかっこ悪いこと、いじめはなくすべき。
そのように励ます周りの人がいます。


確かにそう思います。
でも、いじめはそんな言葉でなくなるような簡単な
問題でもないような気がします。


そもそも学生のいじめが完全になくせるのであれば、
職場のいじめ、その他の犯罪、戦争などすべて根絶する
ことができるはずです。


しかし、現実には簡単にはなくせません。
悲観的かもしれないですが、いじめは起こること前提で
考えないといけないと思います。


人間はもともと嫉妬深く、競争社会の中では、必ず
優劣が生じ、同じ器の中で劣等感を抱いた人たちが、
いじめるターゲットを探します。


そのターゲットは様々で、いじめる側にとって都合の
良い相手ということになります。
いじめることで、自分の劣等感を埋めることができれば
ターゲットは誰でもよいわけです。



学生などへのアンケートでは、自分がいじめる側にも
いじめられる側にもなった経験があると答えた人が
多かったようです。


私自身もそうだったかもしれないです。
暴力や暴言など際立ったいじめは、いじめる側としても
いじめられる側としても経験しませんでしたが
多少なりと両方を経験したように思います。


当時を振り返ると、やはり自分の中の劣等感があったと
思います。
学生の頃は学校と家庭が自分の中の世界のすべてでした。


その狭い世界で、継続的で耐え難いいじめに遭うということは、
その人自身にとって、世の中からいなくなってしまったほうが
良いという考えにつながってしまうわけです。


つまり、自分の人生が学校と家庭しか選択肢がないために
そこで生きることができないと思えば、自分には生きる資格が
ないと考えてしまうわけです。


従って、特により世界の狭い小中学生ほど危険なわけです。
そのことを特に両親が把握していないといけないと私は思います。


よく「いじめられる側にも問題がある」という人がいます。
確かに一理あります。


しかし、それは特に理由もなく無差別にひどいいじめに
遭っている人を本気で理解してあげようと考える人では
ないと思います。


特に理由がなくいじめに遭っている人がいる現実を
知らないのかという気がします。


それは、まるで普通に生活していた人がなんらかの犯罪に遭って
落ち込み悩んでいるときに、「犯罪に遭ったあなたにも問題がある」と
言っているようなものです。


ひどくいじめられている子が、そんな理解のかけらもない
言葉を聞いたら、どう思うでしょうか。


いじめという犯罪の被害者でありながら、精神的に追い討ちを
かけられているような気持ちになることは想像できると思います。


「いじめられる側にも問題がある」という言葉は慎むべきです。
【2006/12/09 17:31】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
<<いじめとどう向き合うべきか(後編) | ホーム | シンプルに考える>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://kyoshi.blog51.fc2.com/tb.php/71-d5b5e66b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
癒しの香りfrom京都


和モダンなアロマや京都散策の日記

プロフィール

キョウ

Author:キョウ
和モダンな雰囲気が好きな
京都人です。

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

月別アーカイブ

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する